【思考実験】ミニマリズムとマキシマリズムに対する一つの考え

こんにちは。

 

今回はライフスタイル全般に対する考え方について書いていきます。

 

テーマはミニマリズム

 

ミニマリズムへの考え方と、ミニマリズムを突き詰めるために必要なマキシマリズムについて考えていきたいと思います。

 

形而上学的なミニマリズム・マキシマリズムについては様々な媒体で議論されていると思いますのでそちらに譲るとして、今回は私個人へのミニマリズム・マキシマリズムの落とし込み方や考え方について、これまでの振り返りと考察をできればと思います。

 

 

ミニマリズムとマキシマリズム

ミニマリズム

ミニマリズムMinimalism)は、完成度を追求するために、装飾的趣向を凝らすのではなく、むしろそれらを必要最小限まで省略する表現スタイル(様式)[1]ミニマリスムとも表記される。「最小限主義」とも。(ミニマリズム=Wikipedia)

ja.wikipedia.org

 

Wikipediaを筆頭に、必要最低限まで要素を絞ることを志向する主義・信条として定義されている「ミニマリズム」ですが、私自身もこの定義で問題ないと考えています。

 

1950年代には既にこの考え方に言及した文献がいくつか見られたそうですが、これまでの人類の長い歴史からするとかなり最近の考え方ということになります。

 

この考え方を日常生活・ライフスタイルに落としこむ際には「断捨離」などのキーワードとともに語られることがあります。

 

これまでの物質的充足に重きを置いた消費社会・資本主義社会へのカウンターカルチャーとして、物質への依存を脱却するべく人類が試行錯誤を施した結果として「ミニマリズム」という考え方の一部を日常で使えるデイリーでキャッチ―な表現に落とし込んだのだと思います。

 

比較的最近に議論が始まった「ミニマリズム」とそれらを日常生活に落とし込みデイリーユースしようとする流れから生まれた「断捨離」などの言葉から、私自身が重要視する(大半の人も日常から行っている)理解プロセスの1つである「差分理解」を行う必要があると考えている。

 

比較的最近出てきた言葉である「ミニマリズム」「断捨離」を理解するためには、似通った概念との差分を取るよりも両極端にある概念同士で差分を考えた方が効率的であると考え、「マキシマリズム」について考察する。

 

マキシマリズム

マキシマリズムについて、残念ながらWikipedia等の記述は無かったのですが、この考え方を紹介しているWeb上の記述では概して「過剰主義」「網羅的」といったキーワードと共に語られている。

 

こちらも特に違和感はないが、私の中ではどちらかというと「最大化主義」のようなニュアンス

 

提案したい考え方:ミディアミズム(mediamism)

ミニマリズムとかマキシマリズムと言った考え方・概念をこねくり回している人々の目的はと言うと、その間の最も心地良い状態・環境を見つけて身を置くことだと思っています。

 

その最も心地よい部分(コンフォートゾーン)を目指す考え方を仮に「ミディアミズム」と名付けましょう(検索したところミディアミズム、というものについて議論されている媒体はありませんでした。)

 

個々人にとってのライフスタイルの最適化については姿や形を変えて様々なところで議論されていると思いますので、今回は私自身が感じた最適化のロードマップについて書きます。

 

具体的には、最適化したい全ての要素に対して以下の様に経験するべきであるとかんじます。

 

*1

 

①マキシマリズム

 

ミニマリズム

 

③ミディアミズム

 

これまで見てきた両極端の考え方について、マキシマリズムについては誰しもが経験するべきであると考えています。

 

とは言え、人それぞれ許容できる限界の過剰主義があると思いますので、節度を持って自身の必要十分なラインを探る必要があります。

 

何事も背伸びが必要、というのはライフスタイル全般にも当てはまる考え方であると思いますし、無理にミニマリズムを突き詰めてもそれはただの我慢になってしまいます。

 

自身に必要な充足感がどの程度なのかを見極めて、徐々に減らしていく過程で、真の幸福を得ることが出来ると思います。

 

マキシマリズムを経験する前後でミニマリズムを経験するのも良いことであると感じています。

 

マキシマリズムを経験する前にミニマリズムを経験することは、生活のどだいを作る上での貯金や居住地を変更する可能性を残す意味で非情に重要であると感じています。

 

独身であるタイミングでは就職・転職・転勤・婚約等で居住地が変わる可能性も十分に考えられます。

 

ここで物質的にも精神的にも身軽になっておくことは、今後の人生の選択肢を広げるうえで大きなアドバンテージになるのではないかと思います。

 

とは言え、精神的なミニマリズムを突き詰めすぎてしまうと、交遊関係をが狭くなってしまうなどの弊害も現れてしまいますのでほどほどにすることが大事かと思います。

 

また、このタイミングでミニマリズムを突き詰めておくことは「本気度」の観点からも重要です。

 

未だ充足された経験が無いという事は、心の持ちようによっては究極的にミニマルな蔵牛を実現できる可能性があると思います。

 

過度に満たされた生活を経験することによってそれ以降何事に対してもハードルが上がることはよくありますし、一度上がった生活レベルを下げることは容易ではないでしょう。

 

究極にミニマルな生活をした、という経験そのものが今後の生活の糧にもなりますし、いざとなればその水準まで生活レベルを下げればよい、という認識を持つことが出来るのはかなりの強みなのではないかと思います。

 

マキシマリズムを経験した後のミニマリズムですが、こちらも一定の効果があると思います。

 

自身が最大どの程度の充足で満足するか、という天井を知っている状態で最小化する作業には、自ずと優先順位が付けられるのではないかと思います。

 

ファッションが好きだから最低限必要な服の量は少し多いが、生活スペースは少なくても良いのでコンパクトな家を借りる。

一方でインテリアが好きだから良い家具厳選して持ちつつ、食事にはそこまでこだわらないので最低限口に合うものを自炊して外食を減らす、といった具合です。

 

ここでお気づきかもしれないのですが、マキシマリズムからミニマリズムへの過程でミディアミズムが訪れています。

 

至極当たり前ではありますが、両極端を行き来する中で中庸な点を見つけることが出来る、という考え方からすると、マキシマリズムを追い求めることが必要であると分かる。

 

結論

両極端の行動・考え方を実践し経験することで自分なりの最適解を導き出すことが出来るという事を意識して、何事も時には背伸びして取り組んでみようと思う。

 

私自身が最近感じたミディアミズム

 

私自身は最近、住居に関してミディアミズムへと踏み出すことが出来ているように思います。

 

私は現在、一般的な一人暮らしとしてはゆとりのある生活をしています。

 

ここで感じたこととして、「ここまで広い空間は必要ない」ということがあります。

 

これは勿論、家賃との兼ね合いもありますので、正確に言えば「この家賃を出してこの広さの空間に住む必要はない」という感触が正確なものになります。

 

今現在は引っ越ししてから日が浅いこともあって直近の住み替えは検討していませんが、契約の更新はせず2年以内で退去して「家賃を下げる」「面積を狭くする」のいずれか、または両方を行う予定です。

 

直近の引っ越しを通して住環境について再考する機会があり、その中で自分なりに最も快適な住環境の条件についてスコープが定まってきたと共に、快適な住環境の範囲を決めていく上で必要となる考え方についても考察することが出来ましたので、今後そのような内容についても発信していきます。